邪馬台国の謎

こんんちは、よしおです。

邪馬台国の謎って多いですね。
「漢委奴国王」の金印の発見もその一つです。

金印の発見は、いまから235年前の1784(天明4)年の2月23日のことでした。

福岡の志賀島で百姓甚兵衛が掘り当てたものです。

この日甚兵衛は、用水路の手入れに出かけました。
クワを入れたところ、堅いものにぶつかりました。

取り出して水で洗ってみるとキラキラと光るものでした。
まさしく無垢の金のようなものだったのです。

甚兵衛は、それを役人に届け、役人は黒田候にとりつぎました。

黒田家は、この金印を家宝とすることにしました。
甚兵衛は、手柄として白銀50枚というごほうびを頂いたそうです。

当時の白銀50枚とはどの程度の価値があったのか?

ネットで見て調べてみました。

銀は相場もので変動することを前提にして、白銀100枚で約70両。
つまり50枚なら35両です。

また一両の説もいろいろあります。
米の相場と比較して場合約4万円となります。

つまり、甚兵衛は、今の価値として一応100万円以上のご褒美をもらったと推測されます。
※これはあくまで僕の勝手な推測ですので、ご了承を。。。


この一辺2センチの金印の文字を最初に解読したのが、黒田藩の儒者、亀井南冥(かめいなんめい1743-1814)です。


そしてこれを「漢の倭の奴の国の王」(かんのわのなのくにのおう)と読むべきだという説を立てた人がいます。
三宅米吉で(みやけよねきち1860-1929歴史学者)、明治25年(1892年)のことでした。

つまり発見されてから108年後のことです。

しかし、この金印の正確な解釈については、現代に至っても邪馬台国論争とからんで謎のままなのです。

235年前の今日は、そんな日でした。

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